休館日
月曜日(祝祭日の場合は翌日)
毎月最終火曜日
年末年始
その他展示替え期間などの臨時休館あり
開館時間
5月〜10月
午前9:00〜午後6:00(入館は5:30まで)
11月〜4月
午前9:00〜午後5:00(入館は4:30まで)

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WEB限定!中原中也クイズ 特別企画展「富永太郎と中原中也」編


WEB限定! 中原中也クイズ 特別企画展「富永太郎と中原中也」関連

通年、中原中也記念館の館内で開催している中原中也クイズですが、ご来館できない方にも、中原中也や富永太郎について知っていただくため、WEB上でも富永太郎と中原中也にまつわる5問のクイズを出題します。

  • 【クイズに参加】出題されたクイズに答えてみよう!
  • 【プレゼント企画】全問正解者の中から5名様に、会期終了後、特別企画展「富永太郎と中原中也」のパンフレットをプレゼント! ※いただいた個人情報は企画以外には使用いたしません
回答参加期間  答えの発表
第1問 7/11(木)~7/17(水) 7/18(木)
第2問 7/25(木)~7/31(水) 8/1(木)
第3問 8/8(木)~8/14(水) 8/15(木)
第4問 8/22(木)~8/28(水) 8/29(木)
第5問 9/5(木)~9/11(水) 9/12(木)

参加方法

  • 回答期間中の問題をクリックします(別ページが開きます)
  • 3択から答えをひとつ選んでください
  • プレゼント企画に参加希望の場合は、必ずメールアドレスを入力してください
第1問(回答期間7/11~7/17)

Q1.中原中也と富永太郎の共通の友人である冨倉徳次郎は、二人の関係を<年は中原が六歳年少であるが、まるで中原の方が〇〇みたいだった>と言っていたそうです。〇〇に入る言葉は何でしょうか。

1.先生  2.兄貴  3.偉人

 

A 1.先生

今回の特別企画展のコピーにもある「嫌悪に満ちた友情」。文学青年であった二人の間にはお互いを尊重し合いながらもライバル意識が強く、特に中也にとって、文学的な先輩でもある富永は自身の個性をぶつけることのできる存在でした。はたからみると、「先生」みたいにものを教えていたのかもしれません。

出典:大岡昇平『富永太郎―書簡を通して見た生涯と作品』

第2問(回答期間7/25~7/31)

Q2.富永家では中也が来るとなると、大急ぎでやったことがありました。それはなんだったでしょう。

1.大急ぎで太郎の絵を飾る。

2.大急ぎで家中の本を隠す。

3.大急ぎで家族全員で寝たふりをする。

 

A 2.大急ぎで家中の本を隠す

富永の見舞いなどでたびたび富永家を訪れた中也。富永太郎の甥・富永一矢さんによると<中也さんが来るっていうと、「それ隠せ!」って本から何から全部、園さんの命令一下、すぐに隠したと聞いている(笑)。>中也が帰った後、必ず本がなくなっているということがあったことから、富永家では中也が来ると用心して片付けが行われていたようです。

 出典:「中原中也研究」第18号「私は私自身を救助しよう」語り:富永一矢 聞き手:権田浩美

※園さん……太郎の母・園子

第3問(回答期間8/8~8/14)

Q3.富永太郎は画家を目指すほど絵が上手で、中也や友人と家で飲みながら、絵を描いて渡したこともありました。富永がはじめて油絵を学んだとされる画塾はどこにあるでしょうか。

1.京都

2.三重

3.宮城

 

A 3.宮城

富永太郎は仙台洋画研究所に1921年に入所し、油絵を学びました。亡くなるまで、画家になるか詩人になるか悩んでいました。

第4問(回答期間8/22~8/28)

Q4.富永家では中也にちなんで「ダダさん」と名付けられた料理があったそうです。それは次のうちどれでしょう。

1.タケノコとねぎの卵とじ

2.みつばとお豆腐のみそ汁

3.セロリと牛肉の炒め物

 

 

A 3.セロリと牛肉の炒め物

<牛肉とセロリを一晩ウスターソースに漬け込んで、フライパンでジャジャって炒めたもの。多分園さんが発案した料理だと思う。それを中也さんが来た時に出したら、すごく喜んで、「美味しい、美味しい」って気に入って、それ以後「また、あれが食べたい」って言うようになったものだから、名前がついちゃったみたいですね。>

富永太郎の甥・富永一矢さんによると、一矢さんの子ども時代(戦中・戦後まもない頃)には、特別な料理だったそう。つくって食べてみたい!

 

出典:「中原中也研究」第18号「私は私自身を救助しよう」語り:富永一矢 聞き手:権田浩美

※園さん……太郎の母・園子

第5問(回答期間9/5~9/11)

Q5.中也は富永太郎が亡くなったときに撮った写真を、故郷・山口にいる弟たちにも見せたことがあったそうです。そのとき中也は富永のことをどのように語ったでしょうか。

1.この人は悲しい人だったんだよと伝えた。

2.この人は強い人だったんだよと伝えた。

3.この人は偉い人だったんだよと伝えた。

 

A 3.この人は偉い人だったんだよと伝えた。

富永太郎と中原中也の交友は約1年半、富永の死という形で終りました。

京都から東京へ、短い期間でしたがフランス詩を富永から学ぶなど、間違いなく詩人・中原中也に大きな影響を与えた人物だったのです。

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